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廿日市市

 廿日市市は、広島県の南西部に位置し、南は瀬戸内海から北は中国山地まで、日本の縮図ともいえる多様な地域特性と、世界遺産「宮島」をはじめ、歴史・文化・交流など多彩な魅力や資源が溢れるまちです。

 吉和地域、佐伯地域、廿日市地域、大野地域、宮島地域の5地域によって構成される現在の廿日市市は、律令時代から「佐伯郡」という一つの郡域に属しており、12世紀中ごろには「佐西郡」として、より一体的な圏域を形成していました。

 特に、これらの地域は嚴島神社社領でもありました。

 本市の市名は、現在の中央市民センター周辺(本町)で室町時代中期以来開かれていた「廿日の市(はつかのいち)」に由来します。

 嚴島神社の年4回の祭礼の最終日がいずれも20日であったことから、毎月20日に市が立つようになり、二十日の市=「廿日市」という名称が定着していったと考えられています。

廿日市市HPより)


天満宮秋祭り

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大名行列にお神輿や獅子舞と、廿日市の氏神に奉納する毎年10月の第2日曜日に行われるにぎやかで豪華なお祭りです。

毛槍をもって大名行列を先導する役・奴たちを先頭に大名や巫女、獅子舞などがさながら江戸時代から飛び出してきたかのように練り歩く大名行列。

そして、廿日市天満宮には、かつて廿日市のそれぞれの地域の神社で祀られていた神様を、廿日市天満宮ひとつに相殿(同じ社殿に2柱以上の神様を合わせて祭ること)した、という歴史が。そのため、1年に一度だけ、もとの神社へ神様がお神輿にのっておかえりになる儀式、「神幸式」が行われるのも、この秋祭りの日です。

はつかいち観光協会HPより)

蓮教寺のソテツ

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真宗本願寺派慈恩山蓮教寺は、元は真言宗で佐伯郡高井村(現広島市佐伯区)にあったが、永正7年(1506)に浄土真宗に改宗。大永7年(1517)光禅寺祐仙の次子常念が下平良に蓮教寺を創建した後、空西のとき元和3年(1617)現在地に移っている。

ソテツは裸子植物に属し、宮崎県以南の海岸に自生する。裸子植物で精子が形成されるのはソテツとイチョウだけで、これはシダ植物からの進化を示す「生きた化石」である。当寺のソテツは雌株で、もと津和野藩船屋敷に植えられていたと伝えられる。

桜尾城址(桂公園)

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桜尾城は、承久3年(1221)頃に建てられたと言われるお城で、鎌倉時代に、幕府から厳島神主職に任命された藤原親実(ちかざね)の築城と伝えられています。現在は桜尾城址として、桂公園という名前で市民に親しまれている公園です。

残念ながら現在は城の面影はありませんが、親実の築城後、320年に渡り厳島神領の中心として君臨しました。後に豊臣秀吉も立ち寄ったといわれる、海をのぞむ城・桜尾城は、本丸、二の丸、東の丸などの郭(くるわ)まである立派なお城だったそうです。

現在では120本の桜が咲き誇る静かな公園として市民に親しまれており、穴場の花見スポットとして知られています。

はつかいち観光協会HPより)

速谷神社

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 創祀1800年以上の由緒ある神社、速谷神社。古代の安芸国においても、九州と大阪を結ぶ街道・山陽道で交通の守護神を祀る神社として、この地で人々の旅を見守り続けてきました。

 現在でも変わらず多くの人がお参りに訪れる速谷神社。とりわけ交通安全の神様として知られ、「車を買ったら速谷さん」と新車を購入した人が広島県内のみならず県外からも訪れるほど。運転者への祈祷の後、車を境内の車祓所に停めたら、一台ずつお祓いしてもらえます。

 鳥居を抜ける参道から境内までゆっくりと歩を進めていると、古代安芸国の旅人たちの姿が目に見えるよう。御朱印帳を手に、広い境内をじっくりと散策しに訪れるのもおすすめの、観光スポットです。

はつかいち観光協会HPより)

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