吉賀町
この地域は、古くから吉賀地方と呼ばれ藩政時代は吉賀三領「上領」「中領」「下領」に属し、参勤交代にも使われた主要街道筋で宿場町でもありました。
受け継がれてきた多くの伝統芸能や文化資源があり歴史の重みを感じさせます。また、当地域の気候と清水により生み出される美味な米は、藩主の食する御米として徴用されたと言われており清流に恵まれた土地でもありました。
(吉賀町HPより)
馬の跡
佐伯重氏が育てた荒馬は名馬となり「龍の駒」と命名。時の朝廷の目に留まり、所望があったが断り続けた為、朝廷は重氏の子小五郎を捕えて京都の四条河原で磔刑にした。
重氏は小五郎の安否を気遣って都に急行。石見との国境に近い河津まで来た時、一本のクスバカズラに脚を取られ、もんどりうって前にあった梅の古木で目をついてしまった。盲目となった龍の駒は空に舞い上がり、吉賀の庄初美の奥の先の瀬という所にある一枚の大岩に落下。今も馬の跡が残っている。
奇鹿神社
大同元年丙戌建立。古文書は天喜三年当社焼失の際に共に焼失する。享保年間藩主吉見頼久公の崇敬深く祈願祭を執行した。また亀井公の諸祈願祭も執り行われ歴宝四年には、神田の奉納があり、社田と称した。其の他御紋付提灯及び幕を賜わった。今は執行されていないが、平成十一年頃まで毎年十二月二日に、鹿伝説に伴う、八足八畔鹿(やつあしやくろしか)の御霊に対する申しである「犠牲(にえ)の申」という祭が執行されていた。
ゆらら道の駅
2021年2月にリニューアルした「産直・物産館やくろ」と、入浴・食事・宿泊のできる「むいかいち温泉ゆ・ら・ら」からなる道の駅です。
「やくろ」には新鮮な野菜のほか、吉賀町に伝わる郷土料理『角寿司』など地元ならではの商品が並びます。
「ゆ・ら・ら」はガラスを多用した斬新なデザインの建物が印象的。夜遅くまで営業(※21時受付終了)しているので、露天風呂で満点の星空を楽しめます。
吉賀町出身の世界的ファッションデザイナー・森英恵氏や東京スカイツリーデザイン監修・澄川喜一氏の作品も鑑賞できます。
新宮神社
白鳳の時代に全国的な五穀不作が続いたことで、天武天皇が五穀豊穣と民の喜びを願って、全国60余州に新宮を祭らせよということで、石見の国の新宮建設地としてこの地が選ばれ、白鳳5年(675年)に建てられた由緒あるお宮。